2017年01月28日
忘れないで
友人の恋人が亡くなりました。まだ20代、去年の冬のことでした。
バイクでの交通事故で、即死だったそうです。
私は一度も会ったことはありませんでしたが、友人はことあるごとに彼の話をするので、訃報を聞いたときはショックでした。
事故後、友人と初めて会うときにはとても緊張したのを覚えています。
多分、誰が何を言って慰めても、何にもならないのはわかりきっていたからです。かといって、腫れ物に触るように接するのも、彼女に対してあまりに不誠実のように思えました。
久しぶりに会う彼女は少しやつれた様子でしたが、思いの外元気そうでした。
ただ、その元気さの半分以上が空元気なのは明らかだったので、いたたまれませんでした。
こちらから話を振ったのか、彼女が話したがったのか、よく覚えていませんが、自然と事故の話題になりました。
「○○君に当たった人のことそんなに恨んでないんよなぁ」
「警察に捕まえてもらっても○○君帰ってこやんしねぇ」
「なんていうか、もう、ただただ寂しいよね」
意外な言葉。相手のある事故だったので、彼女の口からこんな言葉が出るとは思っていませんでした。
えらくさっぱりした表現でしたが、彼女にとってはこう言うしかなかったのでしょう。
困ったような、悟ったような、苦笑いのような、泣いているような、複雑な顔をしていました。
理不尽な死に直面したとき、人の心は無防備な状態に陥ります。
まともに受け止めると、恐らく正気ではいられなくなります。
なので、心が受けたダメージを、怒りという形に換えて外に逃がす人が多いです。
例えば、その死に関わった相手や関係者を責めるのが最も一般的かもしれません。
「あのときぶつかってきた車の運転手が憎い」
「あんなこと言ったあいつが憎い」
「あの子を追い込んだあいつを同じ目に会わせてやりたい」
怒りに没頭している間は心がとても忙しいので、悲しみや寂しさは端っこの方に追いやられてしまいます。
でも、彼女の場合はそうせずに、じっくりと腹を据えて、悲しみの根っこを探ることを選んだようでした。
きっと、少しでもたくさん彼のことを考えるためには、怒りに心を割くのがもったいなかったのだろうと思います。
「誰のせいで、どういう風に亡くなったのか」という原因や責任の追及よりも、その根本にある「いなくなって悲しい、寂しい」という気持ちを大切にしたのでしょう。
それと同時に「自分のことを忘れないでほしい」という彼の気持ちを尊重したのだと思います。
怒ること、責めることに我を忘れて、心が救われることもあります。自分を守るために必要なことです。
心が壊れてしまうくらいなら、誰を責めてもいいから、少しでも楽になってほしいです。
ですが、亡くなった人の「自分のことを忘れないでほしい」「大切に思い続けていてほしい」という願いだけは、大事にしてあげてください。
バイクでの交通事故で、即死だったそうです。
私は一度も会ったことはありませんでしたが、友人はことあるごとに彼の話をするので、訃報を聞いたときはショックでした。
事故後、友人と初めて会うときにはとても緊張したのを覚えています。
多分、誰が何を言って慰めても、何にもならないのはわかりきっていたからです。かといって、腫れ物に触るように接するのも、彼女に対してあまりに不誠実のように思えました。
久しぶりに会う彼女は少しやつれた様子でしたが、思いの外元気そうでした。
ただ、その元気さの半分以上が空元気なのは明らかだったので、いたたまれませんでした。
こちらから話を振ったのか、彼女が話したがったのか、よく覚えていませんが、自然と事故の話題になりました。
「○○君に当たった人のことそんなに恨んでないんよなぁ」
「警察に捕まえてもらっても○○君帰ってこやんしねぇ」
「なんていうか、もう、ただただ寂しいよね」
意外な言葉。相手のある事故だったので、彼女の口からこんな言葉が出るとは思っていませんでした。
えらくさっぱりした表現でしたが、彼女にとってはこう言うしかなかったのでしょう。
困ったような、悟ったような、苦笑いのような、泣いているような、複雑な顔をしていました。
理不尽な死に直面したとき、人の心は無防備な状態に陥ります。
まともに受け止めると、恐らく正気ではいられなくなります。
なので、心が受けたダメージを、怒りという形に換えて外に逃がす人が多いです。
例えば、その死に関わった相手や関係者を責めるのが最も一般的かもしれません。
「あのときぶつかってきた車の運転手が憎い」
「あんなこと言ったあいつが憎い」
「あの子を追い込んだあいつを同じ目に会わせてやりたい」
怒りに没頭している間は心がとても忙しいので、悲しみや寂しさは端っこの方に追いやられてしまいます。
でも、彼女の場合はそうせずに、じっくりと腹を据えて、悲しみの根っこを探ることを選んだようでした。
きっと、少しでもたくさん彼のことを考えるためには、怒りに心を割くのがもったいなかったのだろうと思います。
「誰のせいで、どういう風に亡くなったのか」という原因や責任の追及よりも、その根本にある「いなくなって悲しい、寂しい」という気持ちを大切にしたのでしょう。
それと同時に「自分のことを忘れないでほしい」という彼の気持ちを尊重したのだと思います。
怒ること、責めることに我を忘れて、心が救われることもあります。自分を守るために必要なことです。
心が壊れてしまうくらいなら、誰を責めてもいいから、少しでも楽になってほしいです。
ですが、亡くなった人の「自分のことを忘れないでほしい」「大切に思い続けていてほしい」という願いだけは、大事にしてあげてください。
Posted by アスタサービス at 23:47│Comments(0)
│Y.Y