2011年01月31日

宗教で想う事

不適切な文面につき、消除いたしました。


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Posted by アスタサービス at 08:00 │K.I
この記事へのコメント
> 宗教とは、本来、人を幸せににするために存在してる。
> ゆえに宗教法人は税金も優遇されてる。

宗教法人の税制優遇と、貴方の宗教観には因果関係が有るのですか?
人を幸せにするために存在しているから税金が優遇されているのですか?


私は「宗教」は別に「人を幸せにするために存在している」とは思いません。
ここでいう人とは、たぶん貴方が想定している「不特定多数の人」という意味です。

仏教で厳しい修行を行うのはなぜですか?
己が仏に救われたいからであって、己が人を救いたいからではないのではないですか?
勿論、そういう志を持って僧侶になる方もいるでしょうから、それはそれで尊いと思いますが。
檀家・信徒の皆さんがなぜお布施をするのですか?
皆が幸せになれるようにしているのですか?
多分、多くの方が、自分や自分の家族が幸せになれるようにしているのではないのですか?

聖戦というのは、己の信じる神や仏の力で、世の中全てを救いたいという気持ちの現れです。
もっとも、その根底には己の信じる神・仏以外は邪教だと考えるから排除すべきだという思考になるのですが・・・。

いろいろな信仰を上手に飲み込んでしまう日本人にはなかなか理解しがたい感覚ですが、それが事実です。

「宗教は人を幸せにするために存在している」なんて考えを持っていて、よくいろいろな宗教の葬儀もおこないますなんていえますね。
Posted by そうかな? at 2011年01月31日 17:59
宗教の基礎すら把握してない私が、単純な気持ちで書いてしまいました。おごりをたしなめていただきありがとうございました。
Posted by K.I at 2011年01月31日 21:47
葬儀というのは、人の死の尊厳に大きく関わるところだと思っています。
そして死の尊厳を大切にするからこそ、僧侶や神官、牧師などを招いて最後の式を執り行うのではないでしょうか?


> 宗教の基礎すら把握してない私が、単純な気持ちで書いてしまいました。

ブログに記載したことが問題でなく、その葬祭を執り行う葬儀場の方の宗教認識がこの程度というのは非常に情けなく思います。
いくら立派な設備で葬儀を行ってもらっても、どれだけ徳の高いお坊さんに来ていただいても、葬儀の裏方で携わる方がこれでは私はお願いしたくありません・・・。とても残念です。
Posted by そうかな? at 2011年02月01日 11:47
宗教は人を幸せにするため存在している。
 私はそう思います
Posted by ちょびっとみつる at 2011年02月01日 20:45
 K.Iさんは素直に謝罪し その上削除までされています。
それに対しダメ押し批判コメントまで入れる行為は
いかがなものかと思います。
 宗教認識よりも 私はアスタの皆さんの人間性がいかに素晴らしいかを知ってますので、私はそれでその葬儀社の価値を判断したいと
思います
Posted by サロンド at 2011年02月01日 21:00